📖 第 1 章 スクラムマスターにとって最も大切なこと
- 1.1 PO と SM の違い
- 1.2 誤解されがちなスクラムマスター像
- 1.3 スクラムを正しく導くことの重要性
- 1.4 スクラムマスターの本質的な目的
- 1.5 能力を高めるとはどういうことか?
- 1.6 チーム能力とベロシティ
- 1.7 まとめ
- 2.1 スクラムマスターはマルチロールプレイヤー
- 2.2 5 つの代表的な役割
- 2.3 役割は重なり合う
- 2.4 役割のバランス
- 2.5 まとめ
- 3.1 ファシリテーターとは?
- 3.2 実務の進め方
- 3.3 普段のスクラムマスターの動き
- 3.4 まとめ(ファシリテーション編)
- 4.1 インピディメントリムーバーとは?
- 4.2 インピディメントを収集する
- 4.3 インピディメントリストを作成する
- 4.4 解決に動く
- 4.5 外部からの妨害からチームを守る
- 4.6 フォローアップする
- 4.7 普段のスクラムマスターの動き
- 4.8 まとめ(インピディメント編)
- 5.1 メンターとは?
- 5.2 実務の進め方
- 5.3 普段のスクラムマスターの動き
- 5.4 まとめ(メンター編)
- 6.1 コーチとは?
- 6.2 実務の進め方
- 6.3 普段のスクラムマスターの動き
- 6.4 まとめ(コーチ編)
- 7.1 チェンジエージェントとは?
- 7.2 実務の進め方
- 7.3 普段のスクラムマスターの動き
- 7.4 まとめ(チェンジエージェント編)
- 8.1 ベロシティの正しい理解
- 8.2 残業によるベロシティの錯覚
- 8.3 属人化をなくす
- 8.4 環境を改善する
- 8.5 学習のための時間を投資する
- 8.6 持続可能なペースを守る
- 8.7 まとめ(具体的アプローチ編)
- 9.1 チーム能力の「土台」を意識する
- 9.2 心理的安全性を高める
- 9.3 自己組織化を促す
- 9.4 組織変革を進める
- 9.5 まとめ
- 10.1 段階的に広がる役割
- 10.2 信頼を築く
- 10.3 メンターとコーチの使い分け
- 10.4 組織を動かす力を養う
- 10.5 スクラムマスター自身の学び
- 10.6 まとめ
- 11.1 SM は「見えにくい役割」
- 11.2 なぜ解雇されやすいのか?
- 11.3 SM を解雇すると何が起こるか?
- 11.4 そうならないために SM ができること
- 11.5 まとめ
- 12.1 本書で伝えたかったこと
- 12.2 スクラムマスターが生み出す価値
- 12.3 スクラムマスターに求められる姿勢
- 12.4 これからスクラムマスターを目指す人へ
1.1 PO と SM の違い
スクラムには 3 つの役割があります。プロダクトオーナー(PO)、スクラムマスター(SM)、そして開発チームです。 このうち PO の最も大切な責務は「プロダクトの価値を最大化すること」にあります。顧客やステークホルダーの声を反映し、プロダクトバックログの優先順位を決めることで、価値を最大化していきます。
では、スクラムマスターにとって最も大切なことは何でしょうか。 多くの人は「イベントの進行役」や「チームのサポート係」と答えますが、それは役割の一部にすぎません。スクラムマスターの本質は、もっと大きな目的にあります。
1.2 誤解されがちなスクラムマスター像
スクラムマスターはしばしば誤解されます。 「デイリースクラムやレビューの司会者」「雑務や調整を引き受ける便利屋」「ベロシティを数字で追い立てる管理者」。こうしたイメージは広く浸透していますが、本質からは大きく外れています。
もちろん、必要に応じて進行や調整を行う場面はあります。ですが、それは「スクラムマスターの本質」ではなく「一時的なサポート」にすぎません。
1.3 スクラムを正しく導くことの重要性
スクラムマスターが果たすべき最初の責務は、スクラムを正しく導くことです。 スクラムはシンプルなフレームワークですが、形だけを真似しても効果は出ません。
デイリースクラムが「進捗報告会」になっていないか。レトロスペクティブが「ただの感想会」で終わっていないか。スプリントゴールが曖昧なまま進められていないか。もしこうした形骸化が放置されれば、スクラムは単なる「イベント消化」に成り下がり、改善や自己組織化は生まれません。
スクラムマスターは、チームが スクラムの本質(経験主義・自己組織化・継続的改善) を理解し、日々の実践を「正しいスクラム」に近づける責任を負っています。
正しいスクラムの実践こそが、すべての土台となるのです。
1.4 スクラムマスターの本質的な目的
しかし、スクラムを正しく導くだけでは十分ではありません。それはあくまで出発点にすぎません。
スクラムマスターの最も大切な目的は、チームの能力を最大化することです。
ここでいうチーム能力とは、単なる「作業スピード」ではありません。 継続的に価値を届ける力、自分たちで考え、改善し、成長していく力、そして変化に適応し続ける力。こうした総合的な「チームとしての力」が高まることを意味します。
1.5 能力を高めるとはどういうことか?
では、スクラムマスターがチームの能力を高めるとは、具体的にどのような行為でしょうか。
ひとつは 妨害要因を取り除くこと です。たとえばビルドが遅い、承認が滞っている、必要な権限がない ── こうした障害を排除することで、チームが本来の力を発揮できる環境を整えます。
次に チームの自己組織化を促すこと。進行役をローテーションし、メンバー自身がファシリテーションを担えるようにすることは、チームの自律性を高める一歩です。
また 学習と改善の文化をつくること も欠かせません。レトロスペクティブで小さな改善を積み重ねることは、チームを一歩ずつ強くします。
さらに 組織の壁を取り除くこと も重要です。評価制度が個人主義的でチームを阻害しているなら、人事に働きかけて制度変更を検討することも、スクラムマスターの役割です。
1.6 チーム能力とベロシティ
チーム能力を測る代表的な指標のひとつが「ベロシティ」です。 ただし、ベロシティは「ノルマ」ではなく「健康診断表」のようなものとして扱うべきです。
属人化が減れば、スプリントは安定して進められるようになります。環境改善が進めば、作業のムダは減ります。心理的安全性が高まれば、アイデアが生まれやすくなります。
こうした取り組みの積み重ねが、結果としてベロシティを安定させ、ときには向上させるのです。
1.7 まとめ
プロダクトオーナーにとって最も大切なことが「価値の最大化」であるように、 スクラムマスターにとって最も大切なことは 「チーム能力の最大化」 です。
スクラムマスターはイベントの司会者でも、便利屋でも、ノルマ管理者でもありません。 まずはスクラムを正しく導き、そのうえでチーム能力を高めることに集中します。妨害を取り除き、学習と改善を促し、組織の壁を動かす。そのすべては、チームの力を引き出すためにあります。
スクラムマスターの仕事とは、チームが持続的に価値を届けられるようにする「土壌づくり」。それこそが、この役割の本質なのです。
📖 第 2 章 スクラムマスターの 5 つの役割

2.1 スクラムマスターはマルチロールプレイヤー
スクラムマスターという役割は、一言で説明するのが難しい存在です。 なぜなら、状況に応じて担う顔が変わるからです。チームの中ではファシリテーターとして対話の場を整え、組織の中ではチェンジエージェントとして変化を促す。あるときはプロダクトオーナーやメンバーに対してメンターやコーチとして関わることもあります。
その姿は、まるで RPG ゲームに登場する「必要に応じてジョブチェンジするキャラクター」のようです。場面に応じて役割を切り替えながら、チームと組織の両方に影響を与えていきます。
2.2 5 つの代表的な役割
スクラムマスターの役割は、大きく次の 5 つに整理できます。 まず ファシリテーター として、デイリースクラムやレトロスペクティブといったイベントを進行し、全員が発言しやすい場を整えます。 次に インピディメントリムーバー として、チームの前に立ちはだかる妨害や障害を可視化し、解決へと動きます。 さらに メンター として、経験や知識を伝えてメンバーやプロダクトオーナーの成長を支援します。 一方で コーチ としては、答えを与えるのではなく問いかけを通じて気づきを引き出し、自己組織化を促します。 そして最後に チェンジエージェント として、チームの外にある組織や文化に働きかけ、仕組みそのものを変革します。
2.3 役割は重なり合う
これらの役割は、きれいに分かれているわけではありません。 実際の現場では、状況に応じて重なり合い、行き来します。
たとえばレトロスペクティブでは、まずファシリテーターとして議論の進行を整えます。課題が出ればインピディメントリムーバーとして解決に取り組み、知識が必要になればメンターとして教えます。自分たちで考えてほしいときはコーチとして問いを投げかけ、さらに課題が組織の壁にあるならチェンジエージェントとして働きかける。
ひとつの場面の中で複数の役割を同時に切り替えることも珍しくありません。
2.4 役割のバランス
スクラムマスター初心者は、まず「ファシリテーター」と「インピディメントリムーバー」に力を注ぐことが多いでしょう。なぜなら、これらは比較的成果が目に見えやすく、取り組みやすいからです。
一方で「メンター」や「コーチ」として関わることは、すぐには結果が見えにくいものの、チームの成長を長期的に支えるためには不可欠です。また「チェンジエージェント」として組織に働きかけるには、経験や信頼が必要となり、ステップアップの先にある役割だといえます。
つまり、5 つの役割は「習熟度に応じて広がっていく」もの。最初は身近な役割から始め、徐々に影響範囲を広げていくのが自然な姿です。
2.5 まとめ
スクラムマスターの仕事は一言では語れません。 その実態は、ファシリテーター/インピディメントリムーバー/メンター/コーチ/チェンジエージェント という 5 つの役割を行き来するマルチロールプレイヤーです。
この章では全体像を俯瞰しました。次の章からは、それぞれの役割について、より「実務レベル」で詳しく解説していきます。
📖 第 3 章 役割 ① ファシリテーター

3.1 ファシリテーターとは?
スクラムマスターの最も基本的な役割のひとつが ファシリテーター です。 単なる「司会者」ではなく、チーム全員が安心して発言でき、建設的な対話が生まれる場を整える人を意味します。
3.2 実務の進め方
まずは「場を整える」ことから始まります。デイリースクラムでは「昨日やったこと → 今日やること → 困りごと」というシンプルな流れを徹底し、発言が偏れば「まだ話していない人の意見も聞いてみましょう」と促します。レトロスペクティブでは付箋や Miro などのオンラインツールを活用し、全員から意見を収集することが大切です。ファシリテーターは「声の大きい人だけが話す場」にならないように調整します。
次に「アジェンダとゴールを明確にする」ことが重要です。イベント開始時に「今日の目的」を伝えることで、無駄な議論や雑談が減り、参加者の集中力が高まります。たとえば、デイリーでは「障害の共有とチーム全体での調整」、レトロでは「次のスプリントに向けた改善アクションを 1 つ以上決める」といった具体的なゴールを示します。
さらに「可視化」も欠かせません。議論の内容はホワイトボードやオンラインツールにリアルタイムで書き出し、「誰が言ったか」ではなく「チームが合意したこと」として記録します。スプリントゴールや改善アクションはチームの作業場に掲示し、口頭だけで流れてしまわないようにすることがポイントです。
最後に「フォローアップ」です。イベント終了時には「今日の進め方はどうだった?」と短く振り返り、改善点を次回に反映させます。特にレトロスペクティブでは「改善アクションを必ず次のスプリントで試す」と約束し、実行につなげます。ファシリテーションそのものを検査・適応の対象にすることで、回を重ねるごとに進行の質が上がっていきます。
3.3 普段のスクラムマスターの動き
日常の中でファシリテーターとしてのスクラムマスターは、さまざまな動きをしています。毎朝のデイリースクラムでは「困りごと」を拾い、沈黙があれば声をかけます。イベント前にはアジェンダを準備して目的を明確にし、イベント中はホワイトボードや Miro で議論を可視化し、発言が偏らないように調整します。イベント後には進め方を振り返り、次回につなげる改善をチームと一緒に考えます。
ファシリテーターは「イベントを進める人」ではなく「対話をデザインする人」です。チームがよりよい議論を行い、合意を行動に結びつけられるよう支えるのが本質です。
3.4 まとめ(ファシリテーション編)
ファシリテーターは、全員が参加できる場をつくり、アジェンダとゴールを明確にし、議論を可視化して合意を定着させます。そして進行自体も改善対象とし、ふりかえり続けます。
スクラムマスターがファシリテーションの力を発揮することで、スクラムイベントは単なる「儀式」に終わらず、チームの能力を引き出す場となります。これこそが、チームが力を発揮するための最初の一歩なのです。
📖 第 4 章 役割 ② インピディメントリムーバー

4.1 インピディメントリムーバーとは?
スクラムチームの前には、必ず「妨害」や「障害物(インピディメント)」が立ちはだかります。 たとえば開発環境が遅い、承認手続きが複雑すぎる、必要なデータにアクセスできないといった技術的・組織的な問題があります。さらに、外部からの割り込みや過剰な要求もチームを混乱させる大きな要因です。
こうした障害を放置すれば、チームは本来の能力を発揮できません。 そこで登場するのが インピディメントリムーバーとしてのスクラムマスター です。SM は「課題のセンサー」となり、「課題解消の推進者」として動くだけでなく、外部の圧力からチームを守る「盾」としても振る舞います。
4.2 インピディメントを収集する
インピディメントリムーバーとしての最初の仕事は、課題を拾い集めることです。 毎日のデイリースクラムやちょっとした雑談の中で「困りごと」を聞き取り、またレトロスペクティブでは「今の作業で邪魔になっているもの」を出してもらいます。
たとえば、ビルドに 1 時間かかって作業効率が落ちているとか、承認フローが遅くて作業が止まる、必要な権限がなくてデータが見られないなどが典型的なインピディメントです。 スクラムマスターは「チームの雑音センサー」として常に耳を澄ませ、小さな違和感や不満を拾い上げることが求められます。
4.3 インピディメントリストを作成する
課題を拾ったら、それをリストとして可視化します。 課題カンバンを用意して「Plan/Doing/Done」の列に分け、進捗状況を管理するのです。こうすることで、チーム全員が「進んでいる課題」「止まっている課題」を一目で確認できるようになります。
実際のボードには「本番アクセス権が遅い問題(Plan)」「インフラ部門と調整中(Doing)」「CI/CD 改善でテスト時間が半分に短縮(Done)」といった項目が並びます。 見える化によって課題が「誰かの頭の中」ではなく「チーム全体の共有物」になるのです。
4.4 解決に動く
課題をリストにまとめるだけでは意味がありません。スクラムマスターは、その解決を推進します。 チーム内で解決できることなら、優先度を上げてスプリント内の改善タスクとして扱います。もしチーム外が関わるものであれば、スクラムマスターが窓口となって交渉や調整をリードします。
たとえば、インフラ部門に掛け合ってテスト環境のリソース増強を依頼する、上司に相談して承認フローの簡略化を提案する、あるいは他チームのスクラムマスターと連携して共通課題を横断的に解決する。 スクラムマスターは、チームの外に向かって働きかける役割も担うのです。
4.5 外部からの妨害からチームを守る
スクラムチームの集中を妨げる最大の要因のひとつが、外部からの割り込みや過剰な要求です。 「ちょっとこれもやって」「急ぎで対応して」── こうした依頼が入ると、せっかく立てたスプリント計画は簡単に崩れてしまいます。
よくある妨害としては、スプリント中に別のタスクをねじ込まれる、他部署から「今すぐやって」と直接依頼される、緊急でもないのに「特急案件」として押し付けられる、あるいはチーム外の人が勝手に優先順位を変更してしまう、といったケースです。
スクラムマスターはこうした状況で「チームの盾」として立ちはだかります。外部からの要求は必ず PO を通すように仕組みを整え、割り込みの発生件数を可視化してマネジメントにデータを提示します。そして「これを入れるならどれを下げますか?」と問い返し、優先順位を議論に持ち込みます。さらに「スプリント中は計画に集中する」という文化を定着させ、チームを外乱から守るのです。
ある営業部門との事例では、「今すぐ依頼」が頻発し、チームが集中できない状況に陥っていました。スクラムマスターは割り込み件数を記録して可視化し、PO と共にマネジメントへ提示。「スプリント中の要求は PO 経由」というルールを徹底した結果、チームは集中力を取り戻し、成果の予測可能性も改善しました。
4.6 フォローアップする
インピディメントが解決したら、その成果を「Done」に移し、レトロスペクティブで「この改善によって何が変わったか」を確認します。 改善効果を数値で示すと、チームのモチベーションがさらに高まります。たとえば「ビルド時間短縮で 1 日 30 分の作業時間が増えた」といった具体的な成果を共有するのです。
4.7 普段のスクラムマスターの動き
インピディメントリムーバーとしてのスクラムマスターは、日常的に多くの活動を行います。 毎朝のデイリースクラムでは「昨日困ったことはあった?」と問いかけ、昼には Jira や Trello、Miro でインピディメントカンバンを更新します。午後には別部署の担当者と改善ミーティングを行い、金曜にはレトロでリストを振り返り改善の成果を共有します。そして随時、外部からの割り込みがあれば PO と協力してブロックします。
つまりスクラムマスターの一日は、“課題センサー”として耳を澄ませ、“課題解消の推進者”として動き、そして“チームの盾”として守る ── この繰り返しなのです。
4.8 まとめ(インピディメント編)
インピディメントリムーバーとしてのスクラムマスターは、まずインピディメントを日常的に収集し、リストにまとめて見える化します。そしてチームで解決できない課題には自ら外部に働きかけ、外部からの妨害についても PO と協力してブロックします。さらに、解決したら効果を確認し、改善を次につなげます。
要するに、スクラムマスターは「チームの道を整える人」であり、同時に「外圧から守る盾」として存在します。この二つの顔を持つことで、チームは初めて本来の力を発揮できるのです。
📖 第 5 章 役割 ③ メンター

5.1 メンターとは?
スクラムマスターは「メンター」として、経験や知識をチームに伝える役割も担います。 メンターの役割は単に「教える」ことではありません。重要なのは、自分の経験を活かし、チームが自分たちで成長できるように支援することです。講師のように知識を一方的に流すのではなく、実務と結びついた学びを提供し、チームの理解を深めていきます。
5.2 実務の進め方
メンターとしてのスクラムマスターは、まず「知識を伝える」ことから始めます。 新しく入ったメンバーには、スクラムの基礎であるイベント・役割・アーティファクトを説明します。プロダクトオーナーには「ユーザーストーリーの書き方」を教え、開発者には「Definition of Done(DoD)」の意義を解説します。ただ理論だけを話すのではなく、実際の現場でどう役立つかを具体的な事例と一緒に伝えることがポイントです。
次のステップは「やって見せる」ことです。たとえば初めてのユーザーストーリーマッピングはスクラムマスターが主導し、具体的にどう進めるかを実演します。初めてのレトロスペクティブでは KPT(Keep / Problem / Try)を実際に進行してみせ、バックログリファインメントではストーリー分解の流れを見せます。モデルを提示することで、チームは具体的なイメージを掴みやすくなります。
そのうえで「ペアで実践する」段階に移ります。2 回目以降のユーザーストーリーマッピングやレトロは、PO や開発者と一緒に進め、スクラムマスターはフォロー役に回ります。必要に応じて助言をし、失敗したとしてもフォローして改善点を一緒に考えます。ここで大切なのは「手を取りながら伴走する」姿勢です。
最後に「成長を確認する」ことが欠かせません。教えたことが実際の現場で活用されているかを観察し、もしできていなければ「どうだった?」「何が難しかった?」と振り返りを行います。そしてチームが自立して実践できるようになったと判断できれば、スクラムマスターは関与を減らし、任せていきます。最終的なゴールは、チームが自走できるようになることです。
5.3 普段のスクラムマスターの動き
日常の活動の中にも、メンターとしての関わりは随所に現れます。 新人が入社したときにはスクラム基礎研修を行い、イベントの意味や進め方を説明します。PO と一緒にリファインメントを行う際には、ユーザーストーリーを分解しながら実例を交えて指導します。スプリント中は DoD に照らしてレビューを行い、チームにフィードバックを返します。さらにレトロの後には、新しく取り入れたプラクティスが正しく運用されているかを観察し、必要に応じて再度助言を行います。
メンターとしてのスクラムマスターは「教えて終わり」ではありません。教えたことが根づくまで見届ける存在であることが大切です。
5.4 まとめ(メンター編)
メンターは、知識を伝えるだけでなく「やって見せ」、ペアで実践し、徐々に任せることで自立を促す存在です。さらに成長を観察し、必要に応じてフォローすることで、学びをチームに根づかせます。
スクラムマスターは「先生」ではありません。けれども、自分の経験を伝えることでチームの学びを加速させる メンター としての役割は欠かせません。その目的は、チームがスクラムを正しく理解し、自分たちで活用できるよう導くことにあります。
📖 第 6 章 役割 ④ コーチ

6.1 コーチとは?
スクラムマスターは「コーチ」として、チームや個人の気づきを引き出す役割を担います。 メンターが「答えを伝える人」だとすれば、コーチは「問いを投げて考えさせる人」です。
答えを直接与えるのではなく、自分たちで考え、選び、改善できるように導く。 これこそが、チームの自己組織化を育てるうえで欠かせない役割です。
6.2 実務の進め方
コーチとしてのスクラムマスターは、まず「問いを投げる」ことから始めます。 たとえばデイリーでは「昨日のブロッカーをどうすれば解消できる?」と逆質問をし、レトロでは「理想の状態はどんな姿だろう?」と未来を描かせます。1on1 の場面では「なぜそう思ったの?」「他に方法はある?」と掘り下げ、メンバー自身に考えを整理させます。 良いコーチは「答えを与えない」存在です。代わりに「考えるための問い」を渡すのです。
次に「気づきを引き出す」ことが重要です。出てきた意見をホワイトボードや Miro に書き出して全員に見せたり、「この中で一番効果がありそうなのはどれだろう?」と問いかけて優先順位を決めさせます。議論の方向がブレそうになったら「そもそも私たちのゴールは何だっけ?」と投げかけ、軌道を修正します。 視覚化と問いかけを組み合わせることで、気づきは具体的な行動へとつながっていきます。
また、コーチは「答えを与えない姿勢」を徹底します。たとえメンバーが黙ってしまっても、すぐに「私ならこうする」と口を出してはいけません。沈黙は思考の時間です。「他に案はある?」と再度問いかけ、チーム自身の発想を尊重します。そして彼らが出したアイデアを採用し、その結果を体験させます。成功も失敗も「自分たちで決めたこと」として経験することが学びにつながるからです。
もちろん、完全に行き詰まったときにはヒントを出すことも必要です。ただし「他のチームではこうやっていた」という程度の事例紹介にとどめ、最終的な判断は必ずチームに委ねます。コーチは「答えを出す人」ではなく「答えを引き出す人」なのです。
6.3 普段のスクラムマスターの動き
日常のスクラムイベントにおいても、コーチとしての関わりは随所に見られます。 デイリーでは課題が出たときに「解決するには何ができる?」と逆質問し、レトロでは改善点が出たときに「理想の姿は?」と未来志向の問いを投げかけます。 1on1 の場面では、悩みを聞きながら「どうなったら嬉しい?」「誰に相談できる?」と問いかけ、自己解決を促します。改善施策を試した後には結果を一緒に振り返り、次の行動につなげます。
つまり、コーチとしてのスクラムマスターは常に「問い」を通じてチームの自己組織化を育てているのです。
6.4 まとめ(コーチ編)
コーチとは「問いを投げ、気づきを引き出す」存在です。 答えを与えるのではなく、チーム自身が自分で選び取る機会をつくります。行き詰まったときには最小限のヒントを出しますが、決断は必ずチームに委ねます。
スクラムマスターがコーチとして関わることで、チームは「言われた通りに動く存在」から「自分で考えて動ける存在」へと成長します。これはチーム能力を最大化するうえで、欠かすことのできないステップなのです。
📖 第 7 章 役割 ⑤ チェンジエージェント

7.1 チェンジエージェントとは?
スクラムマスターの役割の中でも最も難しく、影響範囲が大きいのが チェンジエージェント です。 これは「チームの外にある壁や組織の慣習に働きかけ、変化を起こす人」を意味します。
いくらチームが頑張っても、承認フローが遅かったり、評価制度が個人主義的で協力を妨げていたり、部署間の壁が厚すぎて連携できなかったりすれば、チームの能力は大きく制限されてしまいます。 スクラムマスターはチームの外に視野を広げ、組織全体の改善を推進する役割を担うのです。
7.2 実務の進め方
チェンジエージェントとしてのスクラムマスターは、まず 組織課題を収集する ことから始めます。 日々のインピディメントリストの中から「チーム内だけでは解決できない課題」を抽出し、さらに複数チームに共通する問題を洗い出します。たとえば「承認フローが長すぎてリリースが毎回遅れる」「評価制度が個人単位で、チームの協力を阻害している」「インフラ環境がチームごとにバラバラで不公平が生じている」といったものです。こうした組織課題は、1 チームの努力ではどうにもならないものが多いため、別のアプローチが求められます。
次に重要なのは、データで示す ことです。単なる不満や感情ではなく、数値を使って課題を説明することで、組織は動きやすくなります。たとえば「リリース承認に平均 14 日かかっているため、顧客へのデリバリーが毎回遅延している」「評価制度が原因でコードレビューが形骸化し、不具合率が高止まりしている」といった形で、リードタイムやサイクルタイム、障害件数などを計測し、客観的に可視化します。データに基づいて語ることで、改善の説得力が高まるのです。
そのうえで、改善を働きかける 行動に移ります。マネジメント会議でインピディメントリストを提示し、支援を要請することもあれば、他部署と合同で改善タスクフォースを立ち上げることもあります。時には人事や経営層に対して「スクラムが阻害されている理由」を直接伝え、仕組みの変更を提案することもあります。スクラムマスターは、まさに「組織とチームの通訳者」として、双方をつなぐ存在になるのです。
最後に大切なのは、改善を 定着させる ことです。一度改善した取り組みをその場限りにせず、「標準プロセス」として正式に位置づけることで、継続的に機能する仕組みになります。さらに他のチームにも展開し、全社的な改善へと広げることが求められます。たとえば「リリース判定会議を簡略化し、すべてのチームが同じ基準で進められるようにする」「評価制度にチーム成果を組み込み、協力を自然に促す」といった取り組みは、組織全体のアジリティ向上に直結します。
7.3 普段のスクラムマスターの動き
日常的にも、チェンジエージェントとしての活動は繰り返されています。 毎月インピディメントリストを整理してマネジメントに報告したり、隔週で他チームのスクラムマスターと情報交換ミーティングを行ったりします。必要に応じて人事やインフラ部門、経営層に改善提案を持ち込み、交渉する場面もあります。改善が実現した後には、その効果を数値で測定し、次の改善サイクルにつなげます。
こうした動きによって、スクラムマスターは現場と組織をつなぐ「橋渡し」として機能するのです。
7.4 まとめ(チェンジエージェント編)
チェンジエージェントとしてのスクラムマスターは、まずチームだけでは解決できない課題を拾い上げ、共通する問題を見極めます。その課題を感情論ではなくデータで可視化し、説得力を持って他部署や経営層に働きかけます。そして仕組みを変えることで改善を実現し、それを定着させて全社に広げていきます。
スクラムマスターは、単なるチームのサポーターにとどまらず、組織を動かす小さなエンジンです。 ここでの取り組みが広がれば、単なるチーム改善にとどまらず、組織全体のアジリティを高める大きな原動力となるのです。
📖 第 8 章 チーム能力を高める具体的アプローチ
8.1 ベロシティの正しい理解
ベロシティとは「チームが持続可能なペースで出せるアウトプット量」を示す指標です。 しかし現場では、しばしば「ノルマ」や「成果目標」と誤解され、チームを追い立てる道具になってしまうことがあります。
スクラムマスターにとって重要なのは、単純に数字を上げることではありません。 むしろ、その数字の裏にある働き方や改善の効果を読み取る姿勢こそが大切です。ベロシティは健康診断の数値のようなもので、一時的に無理をして良い結果が出ても、それは真の健康を意味しません。継続的で健全なペースの上にこそ、ベロシティはチームの能力を正しく映し出すのです。
8.2 残業によるベロシティの錯覚
短期的に残業を増やせば、確かにスプリントで処理できるストーリーポイントは増えます。 しかしそれは「持続可能な力」ではなく、「借金で水増しした数字」に過ぎません。残業を重ねることで一見成果は出ますが、その数字は通常の働き方で出せる力ではなく、無理をした結果に過ぎないため、将来の予測指標としては使えません。言い換えれば、残業込みのベロシティは「誤った健康診断の数値」のようなもので、正しい実力を映し出していないのです。
この問題に取り組むには、WIP 制限を導入して中断や残業を減らすこと、スプリントレビューで「残業込みでやっとできた」という事実を正直に公開すること、そしてふりかえりで「このやり方を半年続けられるか?」を問い直すことが効果的です。
実際、G 社のチームは残業を続けて一時的にベロシティを伸ばしましたが、その反動で次のスプリントでは疲労による不具合や欠勤が多発し、ベロシティは急落しました。残業前提の数字しか残っていなかったため、計画見積もりにも大きな誤差が生じてしまいました。そこでスクラムマスターが「残業禁止」を打ち出し、WIP 制限を導入した結果、ようやく安定し予測可能なベロシティを計測できるようになったのです。
8.3 属人化をなくす
もうひとつ、チーム能力を阻害する大きな要因が「属人化」です。特定の人しかできない作業があると、その人が不在になっただけでスプリント全体が止まってしまう危険があります。
この問題を解消するには、知識やスキルを共有するためのペアプログラミング、複数人で同時に課題を解決するモブプログラミング、そして作業を固定せずにローテーションで経験を積ませることが有効です。
あるチームでは、特定のエンジニアしかデプロイ作業ができず、常にその人の予定に依存していました。そこでスクラムマスターがペアプロを導入し、他のメンバーにもデプロイを経験させる取り組みを進めたところ、3 か月後には誰でもデプロイできるようになり、スプリントの遅延が解消しました。
8.4 環境を改善する
開発環境やインフラの問題は、チームのパフォーマンスに直結します。テストが遅い、ビルドが重い、リリース手順が複雑 ── これらを放置すれば、いくら努力しても能力は制限されてしまいます。
改善のためには、ビルドやテストを自動化する CI/CD の導入、テストデータの整備・共有による環境差異の解消、クラウドリソースの活用による性能不足の解消などが挙げられます。
実際にある銀行の開発現場では、ビルドに 1 時間以上かかっていました。スクラムマスターがインフラ部門に働きかけ、リソース増強と CI/CD 導入を実現した結果、テスト時間は半分になり、スプリント中に実行できるテスト回数が倍増しました。これはチームの開発リズムを大きく改善する転機となりました。
8.5 学習のための時間を投資する
チーム能力を高めるうえで、日々の学習や知識共有の機会は欠かせません。 しかし多くの現場では、勉強会や読書会は「業務外でやるもの」とみなされ、業務の一部としては認められないことが多いのです。
スクラムマスターが大切にすべきなのは、学習を単なる「余暇活動」として扱うのではなく、プロジェクトのコストとして計画に組み込むことです。学習を軽視すれば、技術的負債が積み重なり、スクラムが形骸化し、長期的に大きなコストを払うことになります。
そのためには、スプリント内に学習時間を公式タスクとして計画する、レビューで学習成果を共有する、学習コストの投資効果を可視化する、といった工夫が有効です。
たとえば N 社では、プロジェクト予算に「学習コスト」を明示的に計上し、週 1 回の勉強会と月 1 回の輪読会をスプリントに組み込みました。その結果、半年後にはメンバーのスキルが底上げされ、新しい技術の導入もスムーズに進むようになり、最終的にはリードタイムが 20%短縮しました。経営層も「学習はコストではなく投資である」と認識を改め、制度として定着させたのです。
スクラムマスターは「学習する時間を守る人」として、学びをチーム能力向上のエンジンに変えていく役割を果たします。
8.6 持続可能なペースを守る
スクラムが重視するもうひとつの柱は、長期的に無理なく続けられるペースです。 短期的な残業や詰め込みは、一見すると成果を増やしているように見えますが、長期的には疲労やモチベーション低下を招き、チームの持続可能性を損ないます。
残業が続くと、不具合の増加や品質低下を招き、むしろリワークが増えます。やがて「燃え尽き」によって次のスプリントでベロシティが急落することもあります。さらに「残業が当たり前」という文化が定着すると、本来すべき改善努力が止まってしまう危険性もあります。残業は、言わば「未来から成果を前借りする行為」であり、持続的な力をむしばんでしまうのです。
この問題を避けるために、スクラムマスターは WIP 制限を設けて無理な詰め込みを防ぎ、優先順位を明確にして本当に必要な作業だけに集中させます。ふりかえりでは「残業が常態化していないか?」を問い直し、残業が発生した場合は「なぜそうなったのか」を見える化し、原因改善につなげます。
実際、G 社のチームでは残業が常態化した結果、短期的に成果は増えたものの、不具合と欠勤が多発して改善が止まってしまいました。しかしスクラムマスターが残業を見える化し、WIP 制限を導入したことで、持続可能なペースが取り戻され、改善活動が再び回り始めました。
8.7 まとめ(具体的アプローチ編)
この章で見てきたように、チーム能力を高めるには多方面からのアプローチが必要です。 ベロシティはノルマではなく改善効果を測る鏡であり、残業による水増しは正しい計測を妨げます。属人化をなくすことはチーム全体の安定性を高め、環境改善は待ち時間を減らして効率を上げます。そして学習の機会をコストとして組み込み、持続可能なペースを守ることが、長期的な成果を保証します。
スクラムマスターが目指すべきは「数字を大きく見せること」ではありません。 正しいペースで、正しいベロシティを測れるチームを育てること── それこそがチーム能力を最大化するための真のアプローチなのです。
📖 第 9 章 能力を支える土台
これまで見てきた「具体的なアプローチ」は、チーム能力を高めるための直接的な手段でした。 しかし、それを長期的に維持するためには 土台づくり が欠かせません。 心理的安全性や自己組織化、組織変革といった「目に見えにくい基盤」が整っていなければ、どんな改善も一時的に終わってしまいます。 この章では、チーム能力を下支えする 3 つの土台 について掘り下げます。
9.1 チーム能力の「土台」を意識する
スクラムマスターは、さまざまな方法でチームの能力を高めていきます。 インピディメントを取り除いたり、環境を改善したり、学習文化を根づかせたり ──。 しかし、それらすべての前提となる「土台」が整っていなければ、努力は長続きしません。
この土台を 3 つの観点で捉えると分かりやすいでしょう。 それは「心理的安全性」「自己組織化」「組織変革」です。 これらが揃って初めて、スクラムマスターの働きが実を結びます。
9.2 心理的安全性を高める
心理的安全性とは「このチームなら自分の意見を安心して言える」と感じられる状態です。 もしこれが欠けていれば、メンバーはアイデアを出すことを避け、問題を隠し、表面的な協力しかできなくなります。
ある現場では、レトロスペクティブでの発言が極端に少なく、改善が進みませんでした。 そこでスクラムマスターは、毎回のレトロを「良かったこと」から始めるようにしました。 すると、場の雰囲気が柔らかくなり、自然に「改善したいこと」も出るようになったのです。
また、Miro や MURAL の匿名機能を活用したチームでは、若手から率直な意見が飛び交うようになりました。 心理的安全性は、特別な仕組みではなく「小さな工夫の積み重ね」で育っていきます。 スクラムマスターはまさに「安全な場の守護者」として、これを意識的に育てていくのです。
9.3 自己組織化を促す
自己組織化とは「チームが自分たちで考え、改善し、前に進める状態」を指します。 スクラムマスターが何でも決めてしまうと、チームは「受け身」になってしまい、自律性が失われます。
たとえば I 社のチームでは、デイリースクラムの進行役を毎日ローテーションするようにしました。 最初は「自分には無理」と言っていたメンバーも、数週間後には自然に進行できるようになり、 2 か月後にはスクラムマスターが不在でもデイリーを自律的に回せるようになったのです。
こうした体験を積み重ねることで「自分たちで決めて、やって、改善できる」文化が根づいていきます。 スクラムマスターは「答えを出す人」ではなく「考える場を作る人」であることを忘れてはいけません。
9.4 組織変革を進める
チームがどれだけ努力しても、外部の壁に阻まれることは少なくありません。 たとえば承認フローの遅さ、個人主義的な評価制度、縦割り組織の文化などです。
ある K 社では「リリース承認会議が毎回 3 時間」という課題がありました。 スクラムマスターは、実際にかかっている時間をデータで集めて提示し、改善を提案しました。 結果、会議は 30 分に短縮され、メンバーの作業時間が大幅に増えました。
また、E 社では「個人評価」が強すぎてチームの協力が阻害されていました。 スクラムマスターが人事部門と連携して「チーム成果」も評価対象に加えるよう働きかけたところ、 チーム内の協力が促進され、結果として生産性も高まりました。
組織変革は一朝一夕には進みません。 だからこそ、データを武器に、他部署と協力し、地道に仕組みを変えていく必要があるのです。
9.5 まとめ
心理的安全性・自己組織化・組織変革 ──。 これらの「土台」が揃わなければ、どんな改善活動も砂上の楼閣に終わってしまいます。 スクラムマスターはチームの中だけでなく外にも目を向け、チームが安心して能力を発揮できる土台を整える存在なのです。
📖 第 10 章 スクラムマスターの成長
スクラムマスター自身も「学び、成長する存在」です。 最初はイベントの進行や課題解決に追われていたとしても、やがてチームや組織全体に影響を与える立場へと成長していきます。 この章では、スクラムマスターの成長のステップを具体的に整理しながら、信頼の築き方や役割の使い分け方について解説します。
10.1 段階的に広がる役割
スクラムマスターは一朝一夕で務まる役割ではありません。 最初は「イベントを進行するだけ」で精一杯だった人が、経験を積むにつれてチームや組織全体に働きかけられるようになっていきます。
成長のステップは次のように整理できます。
- ファシリテーターとしての基礎:イベントを正しく進める
- インピディメントリムーバーとしての実務力:課題を拾い、解消する
- メンター/コーチとしての関わり:教え、問いかけ、自律性を育てる
- チェンジエージェントとしての影響力:組織の壁を動かす
最初は小さな役割でも、段階を追って広がっていくのが自然な成長の姿です。
10.2 信頼を築く
スクラムマスターにとって最も重要な資産は「信頼」です。 信頼がなければ、問いかけも交渉も届きません。
ある現場では、スクラムマスターが「この課題を調べておきます」と言ったまま次回の報告がありませんでした。 それが何度も重なるうちに「口だけで何もしてくれない人」と見なされ、メンバーの信頼を失ってしまいました。
逆に、どんな小さな約束でも守り、インピディメントの進捗を透明にし、成果を数字で示すスクラムマスターは、 メンバーからもマネジメント層からも信頼を獲得します。
スクラムマスターの影響力は、肩書きではなく「日々の小さな約束の積み重ね」で築かれていくのです。
10.3 メンターとコーチの使い分け
スクラムマスターは「教える人(メンター)」と「問いかける人(コーチ)」の両方の顔を持ちます。 例えば新メンバーがユーザーストーリーを書けないときには、具体的にやり方を教える必要があります。 一方で、チームが自分で考えられる段階にあるなら「どうやって分解したい?」と問いかけた方が成長につながります。
使い分けを誤ると、チームは依存してしまったり、逆に放任されて停滞したりします。 「今はメンターとして教えるべきか、それともコーチとして問いかけるべきか」を見極められることが、スクラムマスターの成熟の証です。
10.4 組織を動かす力を養う
スクラムマスターがチェンジエージェントとして活動するには、交渉力・説得力・巻き込み力が求められます。 単に「スクラムではこうだから」と言っても組織は動きません。
ある現場では「承認フローが遅すぎる」という問題がありました。 スクラムマスターは、リードタイムを計測し「承認に平均 14 日かかっている」とデータを示しました。 さらに「これが改善されればリリースが月に 2 回増える」と効果を提示したことで、経営層が動いたのです。
組織を動かす力とは、一人で頑張ることではなく、データを武器に仲間を増やすことなのです。
10.5 スクラムマスター自身の学び
最後に大切なのは、スクラムマスター自身が学び続けることです。 チームに「学習文化を育てよう」と言いながら、自分が学ばないスクラムマスターでは説得力がありません。
現場でのふりかえり、自分のファシリテーションの自己評価、アジャイル関連書籍や研修、コミュニティでの交流。 これらを通じて自らも学び続ける姿を見せることが、チームに「学ぶことは当たり前」という空気を根づかせます。
10.6 まとめ
スクラムマスターの成長は「役割が広がっていくこと」と「信頼を積み重ねること」で進みます。 教えるべきときに教え、考えさせるべきときに問いかけ、組織に働きかけ、そして自らも学び続ける。 その姿そのものが、チームの学習と成長を支えることになるのです。
📖 第 11 章 スクラムマスターの解雇リスクとその対処
残念ながら、スクラムマスターは誤解されやすい役割でもあります。 「会議の進行役」「成果が見えない存在」と見なされると、導入初期の組織では真っ先にリストラ対象になることもあります。 この章では、スクラムマスターがなぜ解雇リスクにさらされるのかを整理し、そのリスクを避け、組織に必要とされ続けるための実践的な方法を示します。
11.1 SM は「見えにくい役割」
スクラムマスターはプロダクトを直接つくるわけでも、売上に直結する数字を持つわけでもありません。 そのため、経営層やマネージャーから「何をしているのか分からない」と見られがちです。 特に導入初期の組織では「最初に削られるのは SM」ということも珍しくありません。
11.2 なぜ解雇されやすいのか?
理由はシンプルです。成果が見えにくいからです。 「会議の司会をしている人」「雑務をやっている人」と誤解され、短期的なコスト削減の対象になってしまうのです。
ある企業では、コスト削減の一環として SM を全員解雇しました。 結果、デイリーは単なる進捗報告会に、レトロは雑談の場に、改善活動は完全に止まりました。 チームは自律性を失い、数か月後には生産性が大きく落ち込んでしまったのです。
11.3 SM を解雇すると何が起こるか?
スクラムマスターがいなくなると、目に見えないところでじわじわと組織が劣化していきます。
- インピディメントが解決されず、環境の不便さが蓄積する
- チームは改善をやめ、受け身に戻る
- 組織の壁に誰も働きかけなくなる
短期的にはコスト削減に見えても、中長期的には生産性の低下とアジリティの喪失という大きな代償を払うことになります。
11.4 そうならないために SM ができること
スクラムマスター自身が「成果を可視化する」ことが不可欠です。
- 数値で示す 例:ビルド時間を 60 分 →30 分に短縮、残業を 20%減らした、不具合件数を減らした
- インピディメントリストを公開する 課題がどう解決され、どんな効果が出たかを透明化する
- 価値を外に伝える 他部署や経営層に改善の成果を発表し、「SM の仕事はチームだけに閉じない」と理解してもらう
「何をしているのか分からない人」ではなく「チームを動かし、組織を前進させる人」と認識されることが大切です。
11.5 まとめ
スクラムマスターは誤解されやすく、見えにくい役割です。 しかし、その存在がなければチームは形骸化し、組織のアジリティは失われます。
だからこそスクラムマスターは「成果を可視化し、価値を伝える」ことを怠ってはいけません。 自らの活動を示し続けることで、長くチームと組織に価値をもたらす存在となれるのです。
📖 第 12 章 まとめ ― スクラムマスターという存在の本質
12.1 本書で伝えたかったこと
ここまで見てきたように、スクラムマスターは単なるイベントの進行役や雑務係ではありません。 その本質は 「チーム能力の最大化」 にあります。
- イベントを整えるファシリテーター
- 課題を解消するインピディメントリムーバー
- 知識を伝えるメンター
- 気づきを引き出すコーチ
- 組織に変革をもたらすチェンジエージェント
この 5 つの役割を状況に応じて行き来しながら、チームと組織をより良い方向へと導くのがスクラムマスターです。
12.2 スクラムマスターが生み出す価値
スクラムマスターの成果はコードや機能のように目に見えるものではありません。 しかし、その働きは確実に価値につながっています。
- チームの 心理的安全性 を守り、発言と挑戦を促す
- 自己組織化 を支援し、SM 不在でも進めるチームを育てる
- 組織の壁を動かし、仕組みや文化に変革を起こす
- 持続可能なペース を整え、長期的に安定した成果を出す
これらは一見「見えない成果」ですが、失われるとすぐにチームの停滞や組織の硬直として現れます。
12.3 スクラムマスターに求められる姿勢
スクラムマスターにとって重要なのは「正しい答え」を知っていることではありません。 大切なのは次のような姿勢です。
- 課題に敏感であること ― チームの声に耳を澄まし、小さな違和感を拾う
- 行動すること ― 課題を放置せず、チーム内外に働きかけて解消をリードする
- 学び続けること ― 自らも成長し続ける姿を見せ、チームに学習文化を根付かせる
- 見えない価値を伝えること ― 成果を数値化し、組織にスクラムマスターの必要性を示す
12.4 これからスクラムマスターを目指す人へ
もしあなたがスクラムマスターを始めたばかりなら、最初からすべてを担おうとする必要はありません。
- まずは ファシリテーター としてイベントを正しく進めること
- 次に インピディメントリムーバー として課題を拾い、解決すること
- 徐々に メンター/コーチ として関わり、自己組織化を支えること
- やがて チェンジエージェント として組織に働きかけること
この道のりを歩むなかで、チームもあなた自身も成長していきます。
📖 あとがき
本書を手にとっていただき、最後まで読んでくださったことに心から感謝します。
スクラムマスターという役割は、とてもユニークです。 直接コードを書くわけでも、売上を数字で示すわけでもない。 だからこそ「何をしているのか分からない」「いなくても回るのでは」と思われることが少なくありません。
私自身、さまざまな現場でそのような声を聞いてきました。 しかし同時に、優れたスクラムマスターがいるチームは、確実に力を発揮し、 継続的に価値を届け、そして楽しそうに仕事をしていることも目の当たりにしてきました。
スクラムマスターの仕事は、表舞台に立つヒーローではありません。 けれども、チームを支える「土台づくり」を担うことで、未来の成果を何倍にもして返す ── まさに「縁の下の力持ち」の役割です。
本書で強調したかったのは、スクラムマスターの本質は「イベントの進行」や「雑務」ではない、ということです。 真の目的はチーム能力の最大化 であり、そのためにファシリテーション、インピディメント解消、メンタリング、コーチング、組織変革といった役割を行き来します。
また、ベロシティの誤解、残業による錯覚、学習文化の必要性といった「現場で起こりがちな課題」についても触れました。 それらは、スクラムマスター自身が意識していなければ、簡単に形骸化してしまうものです。
読者であるあなたに、ひとつお願いがあります。 本書の内容を 「知識」として終わらせない でほしいのです。
- 明日のデイリースクラムで「昨日困ったことは?」と問いかけてみる
- 次のレトロで「この改善は半年続けられるだろうか?」と投げかけてみる
- スプリントに 1 時間でもいいから「学習の時間」を組み込んでみる
その一歩一歩が、確実にチームを変えていきます。
スクラムマスターは、ときに孤独です。 でも、あなたは一人ではありません。 世界中に、同じように悩み、工夫し、挑戦しているスクラムマスターがいます。
本書が、あなたが日々の実務で「自分は正しい方向に進んでいる」と確信を持つための一助となれば幸いです。 そして何よりも、読んでくださったあなた自身が「スクラムマスターであることに誇りを持てる」ようになれば、著者としてこれ以上の喜びはありません。
どうかこれからも、チームと共に学び、成長し続けてください。 その挑戦の先に、きっと素晴らしい未来が待っているはずです。


コメント